目の錯覚を利用した“だまし絵”で知られるオランダの版画家、M・C・エッシャー。意外に知られていませんが、その作品500点と日本での著作使用権をもつのがハウステンボス美術館です。そして、そんな格と質にふさわしくこの美術館には日本でもトップクラスのエッシャーのスペシャリストがいます。今回は、その人、安田恭子ハウステンボス美術館館長代理にスポットを当てます。
北の大地に吹いたエッシャー旋風
今年の4月19日、北海道立旭川美術館の講堂はその年、初めて冷房が必要になるほど、熱気に包まれました。同日始まった「ハウステンボス美術館所蔵永遠なる迷宮エッシャー展」。その開催に当たり、現地入りしていた安田恭子ハウステンボス美術館館長代理が記念講演を行ったのですが、予定席数を倍以上も上回る人が詰めかけたからです。
また、旭川美術館から依頼されてはいなかったものの、開会式来賓者に対して展示室で作品解説を始めたところ、またたく間に大勢の人が集まり、1時間近くにわたるギャラリートークともなりました。
こういった一連のトークは後日アップされた芸術家や美術ファンによるブログで評判に。特に地元在住の版画家で、国際的に活躍する萩原常良氏は、開会式セレモニーでのスピーチをはじめ、講演内容の構成まで高評価。エッシャーに対する見識の深さに賛辞を贈っています。
オランダ絵画との運命の出会い

安田館長代理とエッシャーとの出会い。それを知るには1986年の夏まで時間を遡らなければなりません。大学4年生の時、家族で訪れた長崎オランダ村。ここで出会ったオランダ絵画。色調、構図、光の捉え方。いや、理屈なんていらない。「すべてに感動を受けた」自分がいました。
さらにはこんな小さな美術館なのにオランダが直接、絵を貸し出し、それが公開されている。なんと、すごいこと。運命を感じたのでしょう、麦わら帽子にワンピースという姿も顧みず、「いきなり人事の担当部署を訪ねまして(笑)。矢も盾もたまらず社員の応募書類にその場で記入しました」
1987年3月、大学卒業と同時に入社。お客さまの案内などを務める現場スタッフを兼ねながら学芸員として仕事に励む日々。
そんななか、オランダ国立海事博物館の企画展準備で単身、オランダへ出張。展示品や関係資料の選定に当たります。
そして帰国してしばらくすると、ハウステンボスプロジェクトがスタート。ヘルメットをかぶり、仮設事務所と建築現場を行ったり来たり。美術館スタッフのコスチュームデザインまで担当しました。
このあわただしい毎日のなかで出会ったのがエッシャーです。もっとも最初に見たのは中学生時代。美術部に所属し、イタリアの画家アルチンボルド(注)風の油画を描いていたので、たちまち不思議な世界に引き込まれました。でも、本当の魅力を知ったのはハウステンボス美術館で何度も開催してきたエッシャー展でのこと。数学的な世界、そして現実と夢想、可能と不可能のせめぎ合い。一方、展覧会のたびに、彼と作品の紹介原稿を図録やパネル、報道資料のために執筆する機会が増えたこともあり、ますますエッシャーにのめりこんでいきました。
(注)アルチンボルド(1527~1593)
イタリアの画家。果物や野菜、動植物などを肖像画の一部に取り込み、独特の世界を創り上げました。
「詳しくなったのは、原稿を書かせてもらったおかげ。書くためには深く研究して知識を増やさなければならないからです」
また、日本を代表するグラフィックアーティストで、トリックアートの第一人者である福田繁雄さんと知己を得るなど、人にも恵まれて、今ではわが国でもトップクラスのエッシャーのスペシャリストとして活躍します。
「エッシャーの魅力は誰でも親しめる敷居の低さ。絵画展なのに、あちこちから鑑賞者の楽しげな会話が聞こえる展覧会もそうありません」
ところで道立旭川美術館のエッシャー展は、44日間で17,500もの入館者数を記録。同館の企画展のなかでも上位の成績となり、次に開かれた釧路市立美術館でも大好評を呼んだといいます。
「エッシャー人気は各地で高い。今後も全国の美術館で積極的に展覧会を開いていきたいと思っています。ハウステンボスのPRにも繋がりますから」
エッシャーの伝道師が日本を飛び回る日々はまだまだ続くようです。



